気と身体を丁寧に扱う
気と身体こそあなたの神である──
気と身体は、別々ではない。切り離すことのできない一つの集合体でありエネルギーである。身体の状態はそのまま気の状態に現れ、気の乱れは身体の不具合として苦痛となる。ゆえに病体ではなく病気という。この関係を理解せずに、どちらか一方だけを整えようとしても、いずれどこかで限界が来る。だからこそ重要なのは、気と身体を同時に、そして丁寧に扱うという姿勢である。
多くの人は、自分の身体を雑に扱っている。疲れているのに無理をさせ、違和感があっても見て見ぬふりをし、痛みが出てからようやく対処しようとする。同時に、気の扱いもまた粗い。気分が乱れても放置し、思考が暴走しても止め方を知らず、ただ流されるままに日々を過ごしている。しかしそれは、例えるなら精密な道具を乱暴に扱っているのと同じであり、本来発揮できるはずの性能を自ら損なっている状態に他ならない。
丁寧に扱うとは、何も特別なことをするという意味ではない。むしろ逆で、余計なことをしない方が重要だ。身体においては、無理な力みを抜き、必要以上に頑張らせないこと。気においては、過剰に考えすぎず、湧いてくるものをそのまま観ること。こうした「引く」方向の働きかけが、結果として全体の調和を取り戻すことに繋がる。
たとえば立つという行為一つをとっても、丁寧さの有無ははっきりと現れる。足裏の接地感覚、重心の位置、背骨の伸び、左右対称性、呼吸の深さ。これらを乱暴に扱えば、身体はすぐに歪み、気の流れも滞る。しかし一つ一つを静かに整えていくと、無理に力を入れなくても自然と安定し、呼吸は深くなり、内側に余裕が生まれる。この状態こそが、気と身体が一致している状態である。
重要なのは、この感覚を特別な時間だけに限定しないことだ。日常の中でこそ、丁寧さは試される。歩くとき、座るとき、物を持つとき、人と話すとき。その一つ一つの動作の中に、気と身体の扱い方は現れている。雑に扱えば雑な状態が積み重なり、丁寧に扱えば丁寧な状態が積み重なる。それがやがて、身体の質となり、気の質となり、最終的には生き方そのものを形作っていく。
気と身体を丁寧に扱うというのは、結局のところ自分自身をどう扱うかという問題である。自分を粗末に扱う人は、どれだけ技術を学んでも深いところには到達しない。逆に、自分を丁寧に扱う人は、派手なことをしなくても着実に変わっていく。その変化は小さく見えても確実であり、時間とともに大きな差となって現れる。
丁寧さとは、弱さではない。むしろそれは、最低限必要な礼儀である。気と身体を丁寧に扱うことは、自分だけの神に帰依し、恵みを得る最も確かな方法なのだ。急がず、焦らず、しかし確実に。そうして整えられた心身は、どのような状況においても裏切らず、静かに、しかし力強くあなたを救い続ける。
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気と身体を丁寧に扱う
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