武術を極めるための瞑想、瞑想を極めるための武術

武術に瞑想が必要だ、という話は珍しくない。集中力を高めるため、心を静めるため、精神修養の一環として――そうした説明は一見もっともらしい。しかし本質は、もう一段深いところにある。武術と瞑想は「補助関係」ではなく、互いの核心を照らし合う関係にある。武術を突き詰めていけば瞑想に行き着き、瞑想を突き詰めていけば武術にも通ずる。この往復そのものが、武術瞑想の真髄だ。

武術の稽古を深めていくと、力技や型の巧拙よりも、「どこで気が動いたか」「どの瞬間に正中バランスが崩れたか」が勝敗や安定性を決めていることに気づく。相手に触れられた瞬間のわずかな動揺、当てられそうだと感じた一瞬の恐れ、優位に立ったと錯覚した慢心。それらはすべて身体反応として即座に現れ、中心を失わせる。武術とは、外の相手と戦っているようでいて、実際には自分の内側に生じる反射的な心の動きと向き合う営みでもある。

ここで必要になるのが瞑想的な態度だ。瞑想とは、何かを考えないことでも、特別な恍惚状態に入ることでもない。起きていることを、評価や反応を挟まずにそのまま観る力だ。武術の場においては、「怖れが出た」「力が入った」「呼吸が止まった」といった内的変化を、瞬時に察知し、巻き込まれずに戻す能力として現れる。瞑想で養われる観照力と中立性が、そのまま武術の安定性と強さになる。

一方で、瞑想に取り組むと、必ず壁にぶつかる。座って目を閉じていると眠ってしまったり、日常に戻った瞬間に感情が乱れ、判断が曇り、身体が硬直したりする。つまり、静的な環境での平静さは得られても、動的な状況での平静さが育っていない。ここに武術が決定的な役割を果たす。相手が存在し、圧がかかり、予測不能な刺激が飛び込んでくる状況で、なお平常心、リラックスを保てるかどうか。武術は、瞑想の完成度を容赦なく暴く試金石になる。

武術の稽古は、動く瞑想である。歩く、構える、触れる、崩す、打つ…そのすべての瞬間に「今、何が起きているか」が突きつけられる。逃げ場はない。ごまかしも効かない。だからこそ、瞑想で培った観察力が本物であればあるほど、武術の中で生きてくるし、武術の中で鍛えられた中心感覚は、瞑想を観念的玩具から生きた叡智へと変えていく。

武術だけをやっていると、強さや根性論に執着しやすい。瞑想だけをやっていると、妄想や屁理屈に逃げ込みやすい。この両極を行き来し、統合していく道こそが、本来の修行だ。外からの圧にも、内からの揺らぎにも等しく向き合い、どちらにも偏らずに在り続ける。その在り方が身についたとき、武術は単なる格闘技術ではなくなり、瞑想は現実逃避ではなくなる。

武術を極めるための瞑想とは、心の癖を見抜き、中心に戻る力を養うことだ。瞑想を極めるための武術とは、その力が現実の圧力下でも機能するかを確かめ、鍛え上げることだ。この二つは円環を成し、切り離すことができない。だからこそ、真に深い武術は静けさを帯び、真に深い瞑想は揺るがない強さを内包する。そこに至って初めて、修行は技や方法を超え、生き方そのものへと変わっていくだろう。

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