力は否定するのではなく正しく使う
力無き正義は綺麗事に過ぎない──だからこそ力は必要だが、同時に警戒もされる。あるいは危険を孕んだものというイメージが付きまといがちだ。権力、暴力、影響力、財力、知識、技術──どれも使い方次第で人を傷つけたり、支配したりする。そのため「力そのものを遠ざけるべきだ」という考え方も一定の支持を集めている。しかし本当に大切なのは、力を否定することではない。それをどう扱うかという姿勢なのではないだろうか。
力は本来、中立のものだ。刃物が料理にも使われれば凶器にもなるように、力自体には善悪がない。問題になるのは、それを扱う人の意識や成熟度だ。にもかかわらず、力を持つことそのものを恐れたり、あるいは忌避したりすると、結果として力の扱いに未熟な人だけがそれを握る状況になりかねない。歴史を見ても、力を嫌う善良な人々が一歩引いた結果、強い欲望を持つ者だけが権力を手にし、濫用した例は少なくない。
また、自分には力がないと思い込むことも危うさを含む。人は誰しも、言葉の影響力、選択する自由、身体の働き、経験から得た知恵など、何らかの力を持っている。それを自覚せずにいると、無意識のうちに周囲へネガティブな影響を与えてしまったり、逆に不必要に他人へ力を委ねてしまったりすることがある。力を否定することは、責任を放棄することとほぼ同義なのだ。
武術の世界でも同じことがいえる。力任せに相手をねじ伏せる段階から、力の流れを理解し、最小限で最大の効果を生む段階へと進むのが理想とされるが、それは「力を無視する」ことではない。むしろ、力の性質を深く理解し、無駄や過剰を削ぎ落とした結果として、洗練された力の使い方に至るべきなのだ。最初から力を否定してしまえば、この成熟のプロセスそのものが成立しない。
社会生活においても同様だ。発言力や影響力を持つ人がそれを慎重に使う姿勢は尊ばれる。だからといっていつも沈黙してしまえば、必要な場面で状況を改善する機会を逃すことになる。正しく使われた力は人を守る。場を整え、新しい可能性を切り開く。逆に誤った使い方を恐れるあまり力を封印してしまうと、結果的に守れるはずのものを守れなくなることもあるのだ。
重要なのは、力を持つことと人格の成熟を切り離さないことだ。力だけが先行すれば傲慢さや支配欲に傾きやすくなる。理想や倫理だけで力を避け続ければ、現実に対処する術を失う。両者を統合し、状況に応じて適切に使えるようになることが、本当の意味での「強さ」なのだろう。
力を否定するのではなく、理解し、磨き、必要なときに適切に使う。その姿勢は、個人の生き方にも、社会の健全さにも深く関わっている。力とは危険だから遠ざけるものではなく、成熟した意識のもとで扱うべき道具なのだと捉え直す──これにより人は、より自由で責任ある選択ができるようになるのではないだろうか。
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