プラーナ瞑想
プラーナ瞑想とは、目に見えず、手に触れることもできない、あらゆる存在の根源をなす「プラーナ」とは何かを、ひたすらに思索する瞑想である。それは呼吸に意識を向ける行とは異なり、さらに深く、抽象的な次元にまで意識を拡張していく内観の旅だ。
プラーナ(気)とは何か──この問いは単なる知的好奇心にとどまらない。現代科学が到達した素粒子よりもさらに微細で、仮想的無限小の単位として、プラーナを捉える。この仮説的な存在を出発点として、我々の身体、心、世界、そして宇宙の全てがどのように編まれているのかを内側から探る。それは物質の起源を辿るだけでなく、意識の起源、生命の本質に迫ろうとする行為でもある。
この瞑想は、派手なテクニックや見た目の劇的な変化を求めるものではない。むしろ、思考の喧騒を鎮め、深い静寂のなかで「存在するとは何か」「エネルギーとは何か」「私とは何か」を問う、静謐で地味な営みである。しかしその静けさの中にこそ、真実に触れる感覚が潜んでいる。
思考を用いるが、論理に閉じない。イメージを使うが、妄想に溺れない。感覚を研ぎ澄ますが、感情に流されない。プラーナ瞑想は、知・情・意のすべてを深層で統合しながら、目に見えぬ本質を捉えようとする試みだ。
やがて、プラーナとは単なる概念ではなく、生命そのもの、存在そのもの、そして自他の隔てを超えた連関そのものであることが、直感として感じられてくるかもしれない。そのとき我々は、宇宙と一体となって「在る」ことの深い安心と永遠、自由を得るのだ。
この瞑想に終わりはない。ただ静かに問い続けること、それ自体がすでに目覚めの道なのである。
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