武術は究極レベルで難しい。だから最高に面白い

最初に武術を始めたとき、多くの人は動きの模倣から入る。先生の構えや動きを真似し、技を繰り返し練習しながら、少しずつ身体に馴染ませていく。しかし、ある段階を越えると気づく。これは単なる動きの再現ではない。技の本質を理解し、状況に応じて自在に運用できなければ意味がないということを。

ここで立ちはだかるのが、武術の奥深さであり、同時にその難しさだ。相手の身体の動きだけでなく、気を読み取る。一瞬の間合い、一拍の呼吸の乱れ、視線の動き――そうした微細な兆候を読み取り、先手を取る。それは決して反射ではなく、深い集中と直観、そして繊細な超常感覚の賜物である。技術があるだけでは足りない。気が澄んでいなければ、相手の「今」を捉えることはできない。

武術の道を極めようとするほど、自分自身の弱さ、未熟さと向き合うことになる。思い通りに動かない身体、つい生まれる驕りや恐れ。外の敵よりも、内なる自我の暴走のほうが、よほど手強い。何年、何十年と続けてきても、なお修正すべき癖が見つかり、改善の余地が浮かび上がる。それは一見、終わりなき修行のようにも思えるが、そこにこそ本当の面白さがある。

武術は、完成しない芸術だ。到達したと思えば、さらに深い地平が開ける。だから飽きない。動きが全て技になっても、組手に勝てるようになっても、まだ何かが足りないという感覚は消えない。そうした飢えこそが、人を真剣にさせ、更なる深みへと誘う。

他人との比較ではない。昨日の自分を超えられたかどうか。気と身体が調和していたか。技の背景にある哲理を、ほんの少しでも掴めたか。そうした内的な基準が、武術の世界では重要になってくる。

難しいからこそ、面白い。自分という存在を、限界まで使い尽くすような感覚。思考と感覚、意志と動作がひとつになったときの快感。それは他の何にも代えがたい。

そして、この終わりなき探究の旅に魅せられた者は、歳を重ねてもなお、ひたすら修練を続ける。ただ強くなりたいからではなく、もっと深く自己を識りたいと願うからだ。武術とは自己との対話であり、心身を宇宙原理(道)へ回帰させる旅なのである。

=======
著作物紹介:

※kindle unlimited にご登録中の方は全て無料で読めます。(未登録の方は30日間無料体験を使えば無料で読めます)

「リーダーのための瞑想トレーニング」

「あなたの知らない非常識な幸せの法則」

「超速化時代の冒険:AIライティングと武術気功の叡智」

「AIライティング最速出版術」

空手家との組手や演武などの動画は下記サイトでご覧いただけます。
(武術気功健康教室|大阪府四條畷市)

制心道

動画 空手家との組手(マススパー)や演武など、制心道の実際の動きをご確認いただけます。 武術瞑想とは 「武術瞑想|制心道」とは、道家武術の精神と技法を基盤としつつ…

Follow me!