生きるとは身を守ること
朝起きて最初にすることは何だろうか。コーヒーを淹れることかもしれないし、スマホをチェックすることかもしれない。(私はトイレに行く)でも実際のところ、我々が無意識にやっている最初の行動は「今日も生きている」ことを確認することだ。そして次の瞬間から、一日中ずっと身を守る戦いが始まる。
考えてみれば、人間という生き物は実に臆病で用心深い。階段を降りるときは手すりに手を伸ばし、横断歩道では左右を確認し、熱いお茶を飲むときは「ふーふー」と息を吹きかける。これらすべてが身を守る行為だ。まるで生まれたときから危険回避のプロフェッショナルになることを運命づけられているかのようである。
身を守るという行為は、物理的なものだけではない。心の防御も同じくらい重要だ。嫌な上司の小言には適当に相づちを打ち、面倒な飲み会の誘いには「ちょっと用事が」と言って逃げる。これも立派な自己防衛である。もし正直に「あなたの話はつまらないので聞きたくありません」なんて言ったら、確実に職場での居場所を失うだろう。
現代社会における身の守り方は、実に多様化している。昔なら猛獣から逃げたり、敵の矢を避けたりする必要があったが、今や我々が戦うべき相手は見えないストレス、終わりのない情報の洪水、そして何より自分自身の怠惰である。スマートフォンという便利な道具も、使い方を間違えれば時間泥棒になってしまう。(多分もう既になっている)SNSの炎上に巻き込まれないよう、投稿する前に三回は見直す慎重さも、現代人に必要な身の守り方の一つだ。
興味深いことに、身を守ろうとすればするほど、かえって危険に近づいてしまうこともある。あまりに心配性になりすぎて、家から一歩も出られなくなってしまったり、人との関わりを避けすぎて孤独になってしまったり。適度な危険は生きている証拠でもあるのに、それを完全に排除しようとすると、今度は別の問題が生まれてくる。
しかし結局のところ、生きることと身を守ることは表裏一体なのかもしれない。毎日の小さな選択の積み重ねが、我々を今日まで生かしてくれている。朝食を食べるのも、傘を持って出かけるのも、早めに寝るのも、全部身を守る行為だ。そう考えると、あなたは毎日小さなヒーローになっているのかもしれない。自分という存在を守り抜く、地味だけれど一番身近なヒーローに。
生きるということは、案外シンプルなのかもしれない。毎日を無事に過ごし、明日もまた同じように目を覚ますことができれば、それで十分なのだ。身を守るという本能に従いながら、時には小さな冒険も楽しんで、今日という日を大切に過ごしていけばいい。それが自分なりの生き方であり、身の守り方なのだから。
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