私のnoteは長大な自己紹介かつ遺言
SNSやブログといったデジタルプラットフォームは多種多様だ。しかしその中でも「note」は特異な存在だと思う。多くの人々がnoteに日々の思いや専門知識、人生の経験を綴っているが、私にとってそれは単なる情報発信の場ではなく、大切な人に伝えたいことを記す「デジタル遺言」の役割を果たしている。
noteに書く文章は、時に冗長で、時に主観的で、だからこそ個人的な思いが込められている。それはまた長大な自己紹介のようなものでもある。
私は普段から自分の死後のことを考えているわけではない。しかし、noteに残した言葉は、私がいなくなった後も、デジタル空間に存在し続けてしまうかもしれない。自分の価値観や人生観、大切な人々への思い、達成したこと、後悔したこと──これらすべてが、私という存在の断片的文字情報として電脳空間に残るわけだ。
かつての時代では、遺言は法的な文書や、せいぜい家族に宛てた手紙に限られていた。しかし現代では、インターネットという公開された場で、私は見知らぬ誰かに向けても「これが私だ」と語りかけている。そして興味深いことに、この一人語りは生前から読まれ、共感され、時には批判されながら、私の生きている間から遺言として遺り始める。
武術師範として自衛の精神を伝えたい私にとって、noteは単なる情報発信の場ではなく、自分の哲学や実践、そして「道」を継承するための重要な媒体と感じている。站樁(タントウ:立禅)を1000日以上続けた経験や、道家思想などとの出会い、制心道(自衛瞑想)を創始するに至った道のりは、すべて私という人間を形作るものだ。それをnoteに残すことは、単なる武術の技法だけでなく、その背後にある精神性や人生観、死生観などを伝えることになった。
私は知らず知らずのうちに、死後に遺したい手紙を日々書き綴っていたようだ。それは必ずしも読みやすく整理された文章ではなく、時に混沌としたランダムな自己表現かもしれない。しかし、そこには確かに私の「気」が宿っていると思う。この時コンテンツは単なる投稿記事を超えた「デジタル遺言」となっている。
最初は家族が受け取ってくれることを期待していたが、血のつながりはあっても価値観は違うし、どこかの誰かが何かの役に立ててくれたらそれで良いと思うようになった。そしてもし何の役に立っていなくても、自分で善いと思えるものを書き続けられていることには、満足できている。
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著作物紹介:
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(武術気功健康教室|大阪府四條畷市)