「本当の自分」とは何か
本当の自分とは何か。この問いは、人類が存在し始めた時から、我々の心の奥底で常に鳴り響いてきた永遠の疑問だ。完全瞑想の真髄は、まさにこの「本当の自分」を識ることにある。しかし、その答えは我々が想像するよりも遥かに深遠で、容易には掴めない。
多くの人は、自分の顔や身体、つまり物質としての肉体をもって「これが私だ」と考える。だが、もし突然、全く異なる姿に変わったとしても、「自分自身はここにある」という本質的な感覚は失われないだろう。このことから、肉体は本当の自分ではないことが分かる。
では、その「自分自身が在る」と感じさせる精神や心こそが本当の自分なのだろうか。一見そう思えるかもしれないが、実はそうではない。心は絶えず動き、変化している。そして、その変化を感知し続けている何ものかが存在する。その何ものかがあるからこそ、我々は自らの心を観察できるのだ。
心を観察する時、我々の心は客体となり、永遠不変の純粋意識が主体として全てを感知している。心で心を観察することは不可能だが、心を落ち着けて肉体を観察することで、心の状態を純粋意識に近づけることはできる。
例えば、「私は怒り狂って我を忘れている」という言葉は、実は矛盾を含んでいる。なぜなら、もし怒り狂っている心と自己が完全に同一化していれば、その状態を観察し、言及することすらできないはずだからだ。
肉体や精神との自己同一視を止めた時、我々は初めて本当の自分、つまり純粋意識の存在を垣間見ることができる。全ての霊的修行は、究極的には自らをこの純粋意識へと近づけるためのプロセスなのだ。
本当の自分を見つける旅は、決して終わることのない、生涯にわたる探求だ。それは時に困難を伴い、痛みを感じることもあるだろう。しかし、その過程こそが我々を成長させ、真の自己に近づけてくれる。自分自身と向き合い、受け容れ、そして最終的に純粋意識との一体化を目指す。この旅こそが、人生で最も価値ある、そして報われる冒険なのだ。
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