調和を極める
調和とは、ただ争いを避けることではない。対立するものを無理に押さえ込むことでもない。むしろ、相反する要素をそのまま受け入れつつ、そこにひとつの秩序を見出す営みといえる。自然の中に存在するすべてのものが互いに響き合い、補い合い、ひとつの大きな流れを生み出しているように、人間の生にもまた調和が求められている。
心と身体の調和、人間関係における調和、人と自然との調和。それはどれも分かちがたくつながっている。心が乱れれば身体も不安定になり、身体が疲弊すれば心も沈んでいく。他者との不調和は孤立や争いを招き、自然との断絶は生存そのものを脅かす。逆に、心身が調い、人間関係が整い、自然とのつながりを感じるとき、生命はもっとも生き生きと輝く。
調和を極めるとは、自己の内面においても外の世界においても、無理なく自然に一体感を生み出す姿勢を持ち続けることだ。そのためには、まず静かに耳を澄ませる必要がある。自分の心の声に、他者の言葉に、自然の囁きに。そこには必ず違いがあり、時に矛盾がある。しかしその矛盾の中にこそ、豊かさと可能性が潜んでいる。調和とは同一化ではなく、違いを抱いたまま美しく響き合うことだからだ。
人はしばしば「勝つこと」や「支配すること」に価値を置きがちだが、それは調和とは逆の方向に進むことになる。真に強いものとは、他を排除せず、むしろ包み込み、全体をひとつの調べとして響かせる存在である。音楽がひとつの旋律だけでは成り立たないように、人の世界もまた、多様な声があって初めて調和という美を生み出す。
調和を極めることは、完成された静止状態に至ることではない。それはむしろ、常に動き、変化し続ける世界の中で、瞬間瞬間に整い続ける不断の実践である。川の流れが石や木の枝を避けながらも滞ることなく進み続けるように、我々もまた、変化と対立を受け入れながら調和を紡いでいく。そこに終わりはなく、常に「今、この瞬間」が完成であり、同時に変化の始まりでもある。
調和を極めようとする道は、一見すると遠く険しいものに思えるかもしれない。しかしその第一歩は、すでに我々の日常の中にある。呼吸の調子を感じ取ること、誰かの言葉を丁寧に聴くこと、自然の風や光をありがたく受け止めること。その小さな実践が積み重なった先に、調和の極みがある。そこに至ったとき、人は自分自身を超えて、より大きな生命のリズムの中に溶け合うことになるだろう。
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