「本当の自分」とは何か
自衛瞑想(制心道)の肝は「本当の自分」を識ることにある。
では「本当の自分」とは一体何だろうか?
この顔、身体…物質としての肉体の形状、状態をもって「これが私だ」とするのか。
否、もしある日突然顔も身体も全く違う姿になったとしても、あなたには「自分自身はここにある」という感覚は残るはずだ。
つまり肉体は本当の自分ではない。
では「自分自身が在る」と感じることを可能とする精神、心こそ本当の自分なのか。
これは表層的にはそのように感じられるが、実はそうではない。
心は絶えず動き変化しているが、その変化を感知し続けている何ものかが在り、その何ものかがあるから我々は自らの心を観察できる。
つまり心を観察する時、自らの心は客体であり、永遠不変の純粋意識が主体として全てを感知しているのだ。
心で心を観察することは不可能だが、心を落ち着けて肉体を観察することで、心の状態を純粋意識に近づけることは出来る。
たとえば「私は怒り狂って我を忘れている」という言葉は矛盾を孕んでいる。
怒り狂っている心と自己が同一化すれば、その状態を観察することも、言及することも出来ないからだ。
肉体や精神との自己同一視を止めた時、本当の自分、純粋意識の存在を垣間見ることが出来る。
そして全ての霊的修行は、自らをこの純粋意識へと近づけるためのプロセスなのである。
=======
著作物紹介:
※kindle unlimited にご登録中の方は全て無料で読めます。(未登録の方は30日間無料体験を使えば無料で読めます)
空手家との組手や演武などの動画は下記サイトでご覧いただけます。
(武術気功健康教室|大阪府四條畷市)